下野市地域おこし協力隊ブログ内

2021/5/22

下野市の歴史を蘇らせた”日光街道一里塚保存会”という存在

こんにちは、協力隊の大坪です。

 

5月15日(土)
日光街道 下石橋一里塚赤道開通式が執り行われました。

下石橋一里塚や、日光街道は市民団体「下野市日光街道一里塚保存会」の皆さまの手によって整備されています。

しかし、一里塚はこれまで手つかずで雑木に覆われていました。
「消滅した一里塚」とも言われていたそうです。
日光街道も竹林で埋め尽くされていたのを何年もかけて保存会の方々の手で整備され、今回の復活・開通に至りました。

蘇ったこの道、歴史を感じる事も整備過程の大変さも感じる事ができます。

 

 

小金井一里塚(国指定史跡)

小金井一里塚の写真

  一里塚は、徳川家康が慶長9年(1604)に江戸日本橋を起点に、東海道・中山道及び北陸道につくらせ、後に全国に広まったいわれます。道程の目印として1里(約4キロメートル)ごとに塚を築き、榎や松を植えたもので、『官本当代記』によると、「一里塚五間四方也」とあり、一片約9mの方形に築かれていたとされています。
  小金井一里塚は、江戸時代の五街道のひとつである日光街道沿いにつくられ、江戸(東京)日本橋から22里(約88キロメートル)の地点にあります。二つの塚がほぼ完存していることなどから、日光道中で唯一国指定史跡に指定されています。長年風雨にさらされたため、形が崩れて円形化していますが、現状で1辺約12mの大きさで、つくられた当時は方形であったことが、測量調査でわかりました。
  平成9年度には発掘調査が実施され、旧日光街道の3時期の砂利敷道路とその側溝が発見され、紐に通された寛永通宝(50枚)や陶磁器(茶碗など)の破片がみつかりました。

(下野市役所HPより)

 

下野市には江戸と日光を結ぶ日光街道が通っていました。それにより小金井、下石橋、下古山の3か所に一里塚があり、小金井宿と石橋宿の2か所が宿場町として賑わいを見せていました。

現在は小金井一里塚(国指定史跡)のみ現存しており、下石橋と下古山ではかつての姿を見ることはできなくなっています。

しかし、小金井一里塚の整備はもちろん、下石橋・下小山があったであろう地の周辺整備や日光街道の復活も保存会の皆さんの手で年月をかけて姿を現し、私たちは足を踏みしめる事ができます。

下野市日光街道一里塚保存会の皆さま本当に本当にありがとうございます!